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NPO法人POPOLO
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2011年05月10日

東日本大震災 ボランティア報告 その④

今回のプロジェクト参加者の齊藤です。

今回、POPOLOの方々と一緒に東北地方にいってきました。
私は事前にルート設定を決めるにあたって色々悩みました。

①ロングハイエースとトラック。
②東名、首都高経由東北道ルートの休憩場所。

休憩場所は普段は個人の調整で休憩をとるのですが今回は団体でかつ長い道のりなんでどの配分で休憩をとるか考えました。

夜の出発ということで出来るだけ多くの休憩を考えました。

当日、走ってみると上河内から国見が実際長いと思いました。
その上、仙台で渋滞になって目的地に着くまでに疲れは溜まってきてしまったと思います。この渋滞の予測は思ったより長く皆さんに負担をかけて申し訳ないと思います。

帰りも同じ休憩場所を考えたのですが多くとるべきか出来るだけ少なくとるか非常に悩みました。
朝の4時半起床の方が大半だったので多めにとることにしました。

多くとることによって余計疲れがたまりかねない恐れはありましたがドライバーを務めてる方が長い道を運転すると居眠り運転が十分予想されると考えた上での結論でした。
ルートで多大な疑問もあったと思いますが事故がなく無事に帰ってきて一安心でした。

2日目看板作成。

1回目の看板作成は残念なものでした。もう一度、作成するチャンスがあったので出来るだけ良いものをと心がけました。おかげで半紙を大量に使ってしまい、皆さんに気を使わしてしまい本当に申し訳なかったです。
結果的に女性陣の協力で素晴らしい看板が出来たと思います。
様々なことで皆さんにご迷惑をおかけして申し訳ございません。




1回目




2回目


被災地。

一番最初、被災地に行くのが本当に怖かったです。
自分が行って役に立つのか、足手まといになるんじゃないかと不安と恐怖でいっぱいでした。
実際に行ってみると福島県新地町で津波の残害を目の当たりにしたときどんな表現をしてよいのかわからないです。

新地町の避難所の方は物資の降ろす作業を手伝ってもらって本当に感謝です。新地町の方にも喜んでもらえてとても嬉しかったです。

栗原市での活動はほんの少ししかできませんでしたが少しの時間でもあずまーれさんと一緒に仕分けできてよかったです。
気仙沼市では元吉支所に向かう途中の海岸沿いはテレビで見た景色よりもひどい姿と感じ、とても同じ日本とは思えない景色でした。
間近で気仙沼市の姿を見て一人ではどうしようも出来ない痛感しました。

これからも小さな力ですが何らかの協力が出来たら幸いです。

このお茶碗プロジェクトに参加させてもらえて本当に勉強になり色々な経験になりました。

ありがとうございました。
  

Posted by NPO法人POPOLO at 19:19Comments(0)東日本大震災

2011年05月09日

東日本大震災 ボランティア報告 その③

藤浪です。

2日目の報告です。

気仙沼市災害ボランティアセンター本吉支所さんのお手伝いとお茶を振る舞うために
朝5時に栗原市を出発し気仙沼市へ向かいました。

本吉支所に行くまでの津波のあとをみて
「これからどうするんだ」という宮城県に行く前のメディアだけの情報で思ったことが
「なにもできない。だけど人任せにしていて良いのか」という感情と
「現地の人の気持ちは一生わからない」という想いが地震から2ヶ月たった現地をみて思いました。
実際なんともいえない感情でした。

それからボランティアセンターについて
私たちの作業内容を担当してくださったボランティアセンターの方が明るく接してくださり少し救われた気分でした。

お茶を振る舞うまでの間
気仙沼市本吉へのボランティアセンターにきたときにかける寄せ書きのデザインをかいたり
入り口の立て掛け看板をかきました。

寄せ書きのデザインで真ん中にかいた言葉は
『Pray For MOTOYOSHI』

『本吉のために祈る』です!


本当は心があたたまりそうな絵をかきたかったけど
私たちの中に絵心がある人がいませんでした。。。


実際寄せ書きをかきましたが朝通った道のりのことを考えると
なかなか言葉が思い浮かばなかったのが事実でした。

ひとつの言葉で
もしかしたら誰かを傷つけてしまうかもしれない。

簡単にかいた言葉で
ボランティアセンターに毎日いる方のふと疲れてしまっているときの心がなんと
もいえない悲しみにかわってしまうのではないかと思いました。


素直な気持ちをかくことが1番ですが。

そしてあの寄せ書きがいっぱいになった頃どんな状況にかわっているのだろうか
と考えると本当に
Pray=祈ろうと思いました。


同時に立て掛けの看板を男性陣が作っていました。

一度急いで製作したため納得いくようなものが出来ずお昼にお茶を振る舞った後
、またお茶を振る舞う機会が残念ながらなかったので
もう一度立て掛け看板の製作をやり直させていただきました。


あたたかくなるような看板を目指し
折り紙をきって貼付けてみたり筆で文字をかいたりと時間をかけてしまいましたが
栗原市のあずまーれさんのお手伝いをしていたメンバーも手伝いが終わり看板づ
くりをメンバー全員で意見をだし作ることができました。

また本吉支所さんにお手伝いに行かせてもらったときに雨に負けずに看板が残っ
ていたらうれしいです。


  

Posted by NPO法人POPOLO at 09:52Comments(0)東日本大震災

2011年05月08日

東日本大震災 ボランティア報告 その②

スタッフの金澤です。

東日本大震災の支援活動を行う為NPOPOPOLOでは5月2日~5月5日に宮城県、福島県にお皿やお茶碗などの食器類と茶器、お茶を届けに行きました。

今回は宮城県栗原市を活動拠点としている「NPO法人あづまーれ」さんが行っている各地方から送られてきた支援物資の仕分け作業の報告と現地の新聞社「大崎タイムズ」さんから受けた取材の報告になります。

宮城県栗原市の活動は主にNPOPOPOLOが持ち込んだ物資と各地方から届く物資の仕分け作業。
各地方から届く700箱以上の支援物資に圧倒されながらも、
困ったときには手を差し伸べてくれる優しさに心が温かくなりました。

物資の仕分け作業が落ち着いてきたところに
現地の新聞社である大崎タイムズの方がわざわざ取材に赴いてくださりました。

「静岡に東海大地震が来ると云われているので今回の地震はとても他人ごとではない」

という事や、

「お茶を持ってきたので緊張した状況が続く中お茶を飲んで少しでも溜飲を下げてほしい」

などの思いを伝えました。

 記者の方から「宮城県の現状」や「インフラは大丈夫なのか?」等を教えていただき、わざわざ取材に来ていただいた上に勉強までさせていただいて頭が下がる思いです。

NPOPOPOLOでは中長期的に活動を行っていく予定なので今後とも皆様のご協力をお願い致します。  

Posted by NPO法人POPOLO at 00:44Comments(0)東日本大震災

2011年05月07日

東日本大震災 ボランティア報告 その① 

はじめまして。今回、被災地に届けに行った一人の駒井といいます。

今回のプロジェクトに参加させていただき、5/2の夜から、5/5まで、
福島県新地町、宮城県栗原市、気仙沼市に行かせていただきました。

先に、このプロジェクトを支え、応援してくださった方々、
支援物資を届けてくださった皆様。
ほんとに、ありがとうございました。静岡からの気持ち届けてきました。

まずは、5/1~5/2の仕分け作業から。
たくさんの食器、急須、お湯呑、お茶が集まりました。
皆様が届けてくださったものを、種類ごとに分けるのが、仕分け。
どれが、どのくらい集まっているのかを知ることと、この先の栗原市に届けた後の
さらなる仕分けで、少しでも楽になるように。
なかなか時間がかかる作業でした。形や大きさが様々。
何かを集めるというのは難しさも大変さを感じました。

そして、積み込みをし、いよいよ出発。
車2台、2tトラック1台、総勢16名

自分は2tトラックの運転手の1人。
1日目(5/3)、トラックだけ、福島県新地町経由の指示を受け、
途中のSAを最後に仲間たちと別行動に。
途中の東北道にて、朝日による虹を見ながら福島入り。
向かうは、福島県新地町。
東北道から南下していき、海の方へ。さすが福島県。田園がきれい。
そろそろ田植えの季節。農家のみなさんは、田に水をはり始めていた。
そんな景色を横目に、無事予定時刻前に新地町に到着。

POPOLOでたくさんの支援物資が集まり、他にも届けたいため
新地町に届けにきたトラック部隊の2人の目に入ってきたのは、
たった1本の道路を境に海側は津波の被害で、一切何もなくなってしまったところもあった。
反対側は、河川沿いの被害はあるものの、大きな被害はない。
この境にまず大きく唖然としてしまった。

なにかしたいと来た自分の無力さを目の当たりし、
何かを思うことと、ほんとにできることには大きな差が生まれていること。
そんな気持ちを抱きつつ、新地町のボランティアセンター(VC)へ。
担当の方に挨拶をし、指示を受ける。
VCではたくさんのボランティアの方々が朝早くから集まっていました。
自分たちの荷物降ろしにも5人のボランティアの方が手伝ってくださいました。

一人の方が降ろす場所を聞きに行き、帰ってくると他のメンバーに指示。
黙々と作業していただき、動きがキビキビしていた。
運び出しは、あっという間に終わる。
あたりを見渡すと、他もリーダーが他のメンバーを引き連れ指示を出していた。
この運営形態はすごく効率いいなぁと感じた。

近くにいた、ボランティアの方と少し会話をしました。

ボ:「どっからきたの?」
駒:「静岡から来ました。」
ボ:「そうかぁ。これから帰るの?」
駒:「他の仲間が栗原市に向かっていて、荷物を持って、これから合流です。」
ボ:「まだ、走るんだね。気をつけていっておいで」
駒:「はい。ありがとうございます。」

ほんの少しの会話。どこの方もわからないけど。
帰りトラックをバックさせてたら、会話した方と周りの人たちが
「まだいいよ!もっと下がってもいい!オーライ!!オーライ!!」
温かい。自分たちと同じ気持ちを抱き、きっとここにいるんだ。
たくさんの人が早い復興を祈っている。
みなさんに、「ありがとうございます!後を、お願いします!!」と
伝え、新地町を後にした。

いろいろ話もしたかったし、VCの様子も見たかったですが、
VCはたいへん忙しい様子なためと、自分たちも次の目的地、みんなとの
合流地の栗原市を目指して出発。

渋滞にあいながら、みんなのいる栗原市へ。
仕分けの作業が進んでおり、静岡からの物資を運び入れる。
あずまーれさん達と仕分け作業し、一日目は終了。

二日目。朝、薄暗い5時に栗原市から気仙沼市に向け出発。
気仙沼市に入るとはじめは地震の被害が見られた。しかし、やはり海の方は。
ネットやテレビで見た風景がリアルに目の前に広がる。
そして、人一人では何もできない無力さを感じた。
自然の力はそれほどまでに大きかった。

気仙沼市災害ボランティアセンター本吉支所に到着。
VCのお手伝いで、看板作りや物の移動なども手伝いながら、
被災地の方に持ってきたお茶を振る舞うこともできた。
自分は直接触れ合うことはなかったが、喜んでもらえた。
少しでも、ホッとしてもらえたのなら、良かったと思う。


そして、渋滞を避けるため、夜のうちに東北道を抜け、静岡に無事到着。
長いようで短かった3日間。何を思い、何を感じたかが大きな意味をなすが、
これから起こるかもしれない東海地震のための大きな勉強と経験になった。
  

Posted by NPO法人POPOLO at 11:34Comments(0)東日本大震災

2011年05月05日

宮城県から帰ってきました。

5月2日に静岡を出発し、宮城県栗原市、気仙沼市、福島県新地町へ現場でニーズがあった

お茶碗などの食器、茶器、お茶を無事届けてきました。

参加者16名。

届けた物資は

お茶 約20キロ

食器 ダンボール30箱程度

茶器 ダンボール14箱程度

茶菓子 5キロ

その他いろいろな物資

参加メンバーから今回の活動の感想などをこのブログで掲載して行こうと思います。

今回のこの企画は、ぼくの中でいろいろ考えがあり、譲れない部分ってのがありました。

まず、ボランティアも必要だが、それをコーディネートする人間が圧倒的に不足しているという点

そして、コーディネートする側に立つと、かなり大変だということに気がついてほしかった。

現地へ行かなければ気がつくことができなかった点、静岡にいてもできること、

参加メンバーはおのおの感じたとこがあったでしょう。

私自身の感じたことは、テレビでは感じることができない生の声、声にならない叫び

というものを感じることができました。

そして、私自身の不甲斐なさで、うまくまとめることができなかったことへの葛藤。

いろんなことを感じました。

これで終わりにはしません。

集荷期間を過ぎているにもかかわらず、たくさんのかたから問い合わせがきています。

この活動は継続して行っていきたいと個人的には思っています。

明日以降にアップする参加メンバーの感想を楽しみにしていてくださいね。



  

Posted by NPO法人POPOLO at 23:19Comments(2)鈴木